ジジの落書き(仮) ~ラブドールのレビューとか口コミとか何か色々~

ラブドールを愛したいのに愛せない、モノという認識から離れられない

という相談を連絡フォームから頂きました。

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自分好みの衣装を着せたり、一緒に入浴したり、話しかけたり、「努力」してもモノという感覚から離れられず、ラブドールを愛していると言えるほどの存在には感じられない。彼女を愛したいと真剣に必死で思っているのに、という相談です。

ハンドル名もメールアドレスの記載もなかったため、こちらの記事で回答させて頂きます。
問題があれば(記事にはしてほしくなかった!等)この記事を撤去しますので、お知らせください。

先にぼくの率直な感想を言ってしまうと、モノと認識して何が悪いのかということです。日本人はモノの擬人化とか超得意じゃないですか。「モノごころモノむすめ」とか大好物なんですケドw



…………なんてことを言っても話が進まないのでw

なぜ愛さなければいけないと感じてしまったのか、少し掘り下げて考えてみたいと思います。

ぼくのドールさんに対する考え方は今までも散々このブログで書いてきましたし、古くから読んでいる方にとっては耳タコな話かと思いますので、古参の方はスルー推奨ですw

個人ブログの影響


ラブドールは良くも悪くもニッチなジャンルですし、どう言い繕ってもホールポケットがある以上、アダルトグッズですので、大手メディアでは扱いづらく、必然的に個人ブログの影響が大きくなります。

また、(ぼくも含めて)個人でブログを立ち上げてまで主張したいことがある人間なんてそりゃ一癖も二癖もあります。ありまくります。

実際、ぼくがはじめてラブドールを知った頃、実物は本当にこんなに美しいのか、またどんな人が購入しているのだろうかと片っ端からブログを読み漁りましたが、妄想日記ブログの多いこと多いこと。

正直に書きますが、はじめてラブドールブログでドールとオーナーの寸劇を読んだときは鳥肌が立ちました。無機物に話しかける様を想像すると、なにか宗教的儀式のようにすら思えたからです。
(むしろラブドールのぶっかけ写真を公開している人のほうが理解できましたw)

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でも、そんなふうに引いてしまったのも最初の数件のブログ記事を読む間だけのこと。様々な種類のブログを読んでいくと、だんだんとこれは創作小説と何が違うのだろう、と思い始めました。

これを気持ち悪いと言ったら、小説家、作家、想像力の翼を広げるすべてのクリエーターを否定することになるのでは、と。

もちろん全員が全員想像力豊かで、ラブドール官能小説、あるいはラブドール恋愛物語を書き綴っているわけではありません。そういう人もいれば、そうでない人もいる。心からドールさんに魂が宿っていると信じている人だっているでしょう。

単にぼくは個人的に前者(妄想作家)なら理解できるし、自分もやってみたいな、と思ったというだけの話です。

マイナーな趣味同士、同じことを同じ目線で語り合えるのは嬉しいですし、楽しいことですから、見知ったブログでやっていることを自分も同じようにやらなければならないと錯覚するのも仕方ありませんが、なにもすべてを受け入れなくたって構わないでしょう。

みんなラブドールときゃっきゃうふふしてるし、楽しそうに脳内会話してるし、自分もラブドールをお迎えしたらそうなるハズ!そうしなきゃ…なんでそうできないんだ…!! そんなふうに思い悩むのはちょっと違う気がします。

単にアダルトグッズとして、あるいは着せ替え人形として、カメラの被写体として楽しんでいる人だっているし、それらを複合的に楽しむ人もいる。

なんだったら毎日違っても良いじゃないですか。昨日はドールさんとの妄想会話を楽しんだけど、今日は単に被写体として楽しむ。好きにすれば良いのです。ブロガーの真似をする必要なんて全くありません。

メディアの功罪


ブログもメディアといえばメディアですが、もっと一般向けのテレビや雑誌でも度々ラブドールが取り上げられることがあり、そこで目にしてラブドールの存在を知ったという人も少なからずいるハズです。そういった意味ではラブドールがメディアに露出するのは悪いことばかりではありません。

でも、深夜のテレビ番組で、ラブドールとちゅっちゅする独身男性を取材する番組があり、これには閉口しました。実際、メディアが求めるのはわかりやすいインパクトなんですよね。

さもラブドールを恋人あるいは嫁として扱うのが当たり前かのように喧伝されますが、決してそういう人ばかりではありません。

ぼくも以前の記事で書きましたが、ブラジルのテレビ局から取材の申し込みがあり、自宅で取材させてくれないか、顔は隠すのでラブドールと一緒のところを映させてもらえないか、動画がダメなら写真でもいい、とグイグイこられました。

最終的にラブドールの写真提供と音声取材だけなら協力しても良いよ、と妥協点を見出しましたが、相手はかなり不満そうでしたね。

質問の内容も名前は付けているのか、普段呼びかけているのか、どこを好きになったのか、人間と変わらないように見えるし、この子を彼女と感じても不思議ではないと思うがどうか、とだんだんとむこうの都合の良いように誘導されていく取材内容でした。

まぁそんなところをバカ正直にブログで書いてもつまらないので、当時はおもしろおかしく書き綴りましたけど、つまりそういうことです。うちのような個人ブログですら読者を気にして少しは面白く脚色しとこう、みたいなところがあるわけです。

これは人づてに聞いた話ですが、多くのメディアから取材を受けているとあるドーラーさんは「自分が笑い者になってラブドールが普及するならそれでいい」とおっしゃっていたそうです。

また別のドーラーさんからは「メディアへの露出が多い人がまるで全てのラブドーラーの代弁者のように語られるのは我慢ならない。一緒にしてほしくない。」という意見も聞きます。

ラブドールの良さを多くの人に知ってほしい人、ただひっそりと一人で、あるいは少数の仲間内で楽しみたい人、被写体として楽しみたい人、コレクションしたい人、人体錬成()したい人、視聴率が稼げる映像を録りたいだけのメディア、様々な思惑が重なって一見ややこしく見えますが、ひとつ確実に言えるのは「ラブドーラーとはこういうもの」というレッテル貼りなんて誰も望んでいないということです。

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ラブドールメーカーの功罪


こんな可愛いラブドールさんたちを世に輩出してくれて感謝で一杯ですが、時折眉をひそめたくなるコメントを出すメーカーの中の人もいます。

おそらくメディアに誘導されたからだとは思いますが、「性犯罪に走らせないためにもラブドールが必要だ」的なコメントをしているメーカーを見ると呆れてしまいます。

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ラブドールがあるから犯罪に走る?ラブドールがあるから犯罪に走らない?

暴力的なテレビゲームをするから云々、というくだらないこじつけに似ていませんか。

犯罪に走る走らないはその人の資質の問題でしかないですよ。

たしかに環境によって人の考え方が誘導される部分があるとは思います。割れ窓理論と同じで、犯罪が許容されるような環境があるのはよろしくない。

身近なところだとTwitterがわかりやすいでしょうか。写真や人の描いた絵を勝手に使うのはいけないこととわかっているハズなのに、あの人も使っているから、この人も使っているから、このくらい良いだろ、みたいな。

だからTwitterはなくすべき、ひいてはインターネットが悪いんだ、とはならんですよね。

ラブドールだって同じ。ラブドールのおかげで性犯罪を抑制できている、だなんて言い方は、ラブドールがなければ性犯罪を犯しますよ、と公言しているくらい恥ずかしいことです。

映し鏡という考え方


メディアの話からつい熱くなって話が脱線してしまいましたが、こんだけ長いこと書いて言いたいことは結局、ラブドールを愛さなければならない、あるいは愛さなければラブドーラーとは言えない、みたいに感じる必要はないでしょう、ということ。

ただ、それだけだと突き放した物言いになってしまうので、自分の場合の話をします。

ぼくもはじめてシリコンドールをお迎えしたときは「やっちまった…」感が強かったです。だってハゲアタマを可愛いとは思えないし、無表情だし、体は重いし、硬いし、冷たいし…。

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こんなモノに60万も出していったいぼくは何をしているんだ、と。

でも好みのウィッグをかぶせ、好みの衣装を着せ、フローラルティアラの8x4を吹きかける頃には彼女を着飾るのに夢中になっていました。

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同居人に隠しながらの作業ですから、狭い部屋で肘や膝がついぶつかってしまいます。そのときふと「あ、ごめん」とつぶやいている自分がいました。つぶやいてから自分で自分を笑ってしまいました。

あれだけ冷たい硬いと文句を言っていたのに、気がつけば人のように接しているじゃないか、と。そうなるともう、何かがふっきれて「いーよー、似合ってるよー」とか言いながら撮影しはじめる始末。気分はなんちゃってカメラマンです。

でも愛しているかと問われたら、それはちょっと違うかな、と思います。

愛着はありますよ。例えば誰か知り合いのドーラーさんを家に呼んだとして、勝手にべたべた我が家のドールさんを触りはじめたら怒ります。一言声をかけてくれればオーケーしますけど、無神経に触られるのは腹が立ちます。

勝手に人のデスクの引き出し開けたり、日記帳開いたりしないでしょ。それと同じです。自分が好きなウィッグ、衣装、下着、ポーズ、いろいろこだわっているのだから、それを勝手にいじられたらそりゃ怒ります。

でも、そういう考え方ってただのコレクションっぽいし、自分をドーラーなんてとても言えないと思っていました。

10年くらい前に運営していたブログでそんな思いの丈をブログ記事に綴ったとき、とある読者の方からコメントをもらいました。

ドールってね、憑代(よりしろ)なんですよ。(私はそう思ってます。)


と。

素直に白状しますが、最初の1行目を読んだときは「やべーやつきたーwww」くらいに思いました(失礼)。

でも、続く言葉でハッとさせられました。

ドールの心(精神)は半分がその体に、半分が持ち主の心の中に仮住まいとして宿るんだと思ってますよ。

持ち主が、ドールに手を入れれば、ゆっくりと憑代は半分に分かれながら、宿ってくるんです。

でも、そのドールに興味を失い、ただのモノとして認識した瞬間に持ち主の中にいた仮住まいのドールの心(精神)は居場所を失って抜けていきます。


最初は万物に神が宿るという神道の話かと思ったのですが、そうではなく、ドールの心の半分が自分に、というお話でした。

この話に共感したわけではなく、むしろ逆なのですが、「あ、自分の心の半分がドールさんに」ということなら理解できる、と気が付きました。

深層心理というか、こう言ってほしい、こうあってほしい、という自分でも気が付かない願望が宿っているなぁ…と。

そんなふうに感じてからはより一層ドールさんに愛着を持つようになりました。

だからこそ、というか、ほとんど言い訳みたいなモンですが、新しいドールをお迎えして、古いドールを手放すことに躊躇がなくなりました。

何体いようとも、逆に一体もいなくなったとしても、ぼくの中でのドールさんは自分の半身なのだから、と。

まとめ


悪いクセで、ついつい脱線して長くなってしまいました…。

相談を送ってくださった方が「ラブドールを愛さなければならない」とある種の強迫観念のようなものに囚われてしまった理由はわかりませんが、それがもし「他のドーラーさんはドールさんを嫁として扱っていて幸せそうだから」とか、「そうじゃないとドーラーじゃないから」といった理由なら、それはいったんリセットして自分がどうしたいのかを考えたほうが良いんじゃないかなって思います。

愛着すら持てない、という意味なら、もしかしたら単にお顔が好みじゃないとかボディに魅力を感じないとか、そういう理由かも知れません。

せっかく我が家にきたのだから愛でなければ!という義務感でストライクゾーンから外れていても大事にしようとする人はいますし立派だとは思いますが、誰にでも出来ることではありませんから。

実際ぼくには無理です。どうしても愛着がわかなくて手放したラブドールも何体かあります。なんで手放しちゃったんですか、と責めるような物言いをされたこともありますが、ぼくの中でのドールさんは半身なので気持ちの上で手放したことなんて一度もないんです。ボディが変わってるだけ。

ずるい言い訳ですけどw そういう折り合いをつけていくのもまたドーラーなんじゃないかなって、そう思いますよ。

ラブドールハーレム
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COMMENT 23

雷音王  2019, 07. 12 [Fri] 20:33

部外者(非ドーラー)が生意気言わせて頂きます。

私へも同じ趣旨の質問が来ていました。同一人物かな?
でも、おかしいけど・・・。
初めからモノとしか見ていないジジさんにする質問じゃないですもん。


あくまで一般論的にした返信の概要ですが・・・

・一般にヒトは愛されてから愛する
が重いです。

ということに主眼を置いて返答しました。
ドールさんにすでに愛されてることを感じているからこその悩みでしょ?みたいな。



今、解体場に居ます。
ここには、心のあるドールさんもまだいるし、単なるモノとなったドールさんも居ます。
悩む者に対してはより冷静沈着で確実な返答をせんと気の毒です。
今後そのような方が居たら紹介してください。

----------------------
ドールさんの心は何処にあるのか?
人の心のありかは、解明されていません。(心と感情は別)
ですがドールさんの心のありかというか、存在する位置は明確になりました。
ジジさんの主張によると、例えば私がジジさんのドールさんに猥褻行為を働いても大丈夫なことになりますよね。本当に、大丈夫???

-----------------------
あっ・・・
私は絶対にドーラーではありません。

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マントヒヒ  2019, 07. 12 [Fri] 21:40

自動車やバイクを「物」として認識していても「愛車」として愛着を持つのも愛情であって、親の形見の時計を「物」と認識していても、そこに思い出等の付加価値があって特別な感情を持ったり…

「人形を人と見立てて愛情を持つ」

と言うのは数多ある愛情の一つでしか無くて、善し悪しは無いと思います

まぁ、そもそも僕は人間の女の人に
「愛してる」
って取り敢えず適当に言ってきましたが現在、振り返ってよく考えたらミラノ風ドリアの様に
愛してる風でしか無かったなぁ…

人間の異性にすら本当の愛情って何か分からない…………

愛情を深く考えるとドールを飛び越えて哲学になりますね

僕は取り敢えず寝る前にドールのおっぱい触って「良しっ!」って思ってたら幸せです


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アラン  2019, 07. 12 [Fri] 21:54

何事も、○○せねばならない、というのは窮屈でしんどですよね。
ドールは趣味ですから、気に入ったドールとやりたいtことやれば良いのではないでしょうか。
自分は移り気な気質なので、その時の気分で4人のドールをとっかひっかえして相手に楽しんでいます。
どのドールにも愛着はありますけど、愛したいと思ったことはないですなぁ。

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Ghidorah  2019, 07. 12 [Fri] 23:56

No title

私も完全に物としてしか見れないですね。
ただ、何かと手を加える事で愛着はありますが、それは自分で作って改造したプラモ
や、フィギュア、改造したその他色々のお気に入りの品々に抱くそれとなんら変わりない。
自己表現の為の一アイテムです。
だから手放す時は躊躇なく破壊出来ます。

人として見れる人は若しかしたら幸せなのかも知れないと思う事はありますが、羨む
ことも無いですね。
自分は充分に自分なりに楽しんでいると思いますから。
楽しみ方も人それぞれ。

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ジジの落書き(仮)  2019, 07. 13 [Sat] 00:19

No title

To マントヒヒさん
> ミラノ風ドリアの様に愛してる風でしか無かったなぁ…

ミラノ風わろたwww
いやはや耳が痛いです。アイシテルなんて記号としてしか認識しておらず、ここはアイシテルとささやく場面だ、とか、ここでプロポーズする流れだよな、とか、表面だけ取り繕って生きてきた気がします。自分の気持ちすら正直わからないし、演技でもなんでも、死ぬまで続ければ真実になるだろ、くらいの勢いで。

今思えばそういうの相手には伝わっていたんだろうな、とも思います。
ぼくも今夜は(も)ドールさんのお尻を撫で撫でしてから「よしっ!」と寝ることにします(*´∀`*)


To アランさん
>何事も、○○せねばならない、というのは窮屈でしんどですよね。

まさにまさに。
相談者の方がそう言ったわけではないのですが、文面からは無理に愛情を持とうとしているように感じられて、それはなぜなんだろうと考えていたら無駄に長文になってしまいました(;´∀`)

To Ghidorahさん
自己表現、そして自己完結されているドーラーさんも多くいらっしゃるように感じます。
同じ趣味でありながら、それはどこか平行線で交わることのないパラレルワールドであるかのように感じることも。

しかしそんな中、わざわざぼくに相談のメールを送ってくださった方はどのような経緯でそう考えるに至ったのかな、と考えるうち、ツラツラと自分語りをしてしまいましたw

To にぱきちさん
>相手の底を知った気になった時に補正が消えて「飽き」が来てしまう。

物事を簡略化して考えることが得意な人ほど知った気になりやすいように思います(自戒を込めて)
愛情云々については正直わからないですが、「飽き」というのはわかりやすく、ハッとしました。

もしかしたら、ドールさんの着せ替え、入浴、語りかけ等、やれることはすべてやった気になってしまったことが今回の相談のきっかけになった可能性もあるのかな、とふと思いました。

そういえばぼくも最初の半年~1年くらいでラブドールをすべて手放してこの趣味から離れようかなと考えたことがあったのを思い出しました。

ほかのドーラーさんと交流させて頂くきっかけがあったことで、そういう楽しみ方があるのか!と気付かされた部分は多いです。(撮影、着せ替え、改造等々)

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太郎  2019, 07. 13 [Sat] 00:49

比較的人間に近い形をしていますからね。

予想(幻想?)と違うドールをお迎えしてしまいましたが、何だか楽しくなってきちゃった太郎です。
使い道も本来の性的要素から着せ替え人形に変わってしまいました。

ラブドールは生きていないので「モノ」
では、生きているペットはどうでしょう?どんなに可愛がっていても「愛している」のかな?

太郎がブログ更新で悩んでいる時に、複数の方から優しいお言葉をかけていただきました。
ニッチな趣味ですが、一歩踏み出せて良かったと思います。

そして趣味なので、無理をする必要はないと思います。


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白髪ダンディ  2019, 07. 13 [Sat] 01:06

こんばんは(^ ^)

愛とは何だ…となるともはや哲学ですね。

人であろうが物であろうが何にでも情を注げば「愛」なんじゃないかなと思います。

ドールに愛を注げば笑う訳じゃないですけど、何度も見ている内に笑って見える角度とか、優しく微笑んで見える角度を見つける訳で。

ドールの表情を知る事でまた感情移入していく様な気もするし。

そんな事をやっている内に愛おしくなっていく様に思うんですけどね。


僕も初めてお迎えした時なんてジジさんとほぼ同じリアクションでしたし、冷静に我に返って「何処に隠すんだよ!こんなデカイの!」って本当に独り言いってたしw


自分にとってドールって何だ?と考えてみるのも面白いもんですね。

自分の心の隙間を埋めてくれる物。
自分の願望や妄想を文句一つ言わずに叶えてくれる物。

ですかね。僕にとっては。

僕にとって情を注ぐ行為は化粧したり可愛い服を着せたりして綺麗にしてあげる事でしょうし、その結果良い表情の写真撮れたりすれば、かけた情に対しての恩恵が得られて嬉しいわけですし。

物に対しての愛情や愛着は十分成立している様に思えます(^ ^)

でもまぁ、愛の形は人それぞれですけど、愛って何なんでしょうね(笑)

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にぱきち  2019, 07. 13 [Sat] 02:20

得体が知れない相手にこそ

 ジジさん返信ありがとう。ごめん、誤字直そうとしてsubmitとdeleteを押し間違えたw復元します。
 そこそこ生きてるつもりなんで、経験上学習したことから。

 相手を好きになる事というのは自分のそれまでの知見を超える事について憧れを持つ事で始まるのが多く、博識だったり、ズバぬけた行動力だったり、ちょっとしたしぐさや容姿にキュンとなったり少なからず、得体の知れない事をされて尊敬する事がきっかけになるのが多いです。

 問題は悪い所も見えてきて相手の底を知った気になると、補正が消えて飽きてしまう事もあります。ゆえに相互に好きになるというのは相手だけを深くまで知ろうとするのは縛りあっちゃって必ずしも良い結果を生むとはいえず、むしろ2人いるのだからそれぞれが情報収集(少しは相手が興味を持つ事)を行って相手を嫌悪させない程度に裏をかいて驚かすか、ちょっと興味をくすぐってふざけあえるぐらいが有限ではないので長く続きやすいです。

 さて、ドールの話に戻しますがドールを愛するというよりは、底が知れないと感じたのが今の原動力になってます。
 最初の購入時は性的ともいえる興味本位があったのですが、デジカメに収めた時の約10枚のうち1枚の眼球がこっち向いた状態で撮ってたのがありまして、「これ意思あんじゃね?」とか見えてゾクっとしたのが始めです。
 好きな漫画のコスプレとかさせてみて、これが出せないかなとか試行錯誤してると、やっぱり驚くようなのが紛れてて、そこが自分にとってのドールに対しての興味「底の無さ」になりました。
 1か月すると見たくなくなるぐらいの発展途上(下手さ)ですが、今
のドールに対してのモチベーションになってます。
 人の形をしてるんで物よりちょっと上、でも人にあらず。どちらかに寄せるんじゃなく、そんな存在があっても良いんじゃないかと(癒されるならわたしゃなんでもいいよ)

 ファッションや化粧やウィッグ髪型の知識とか家族につきあっての外出がドールを迎えてから目線が変わって退屈からちょっと楽しくなりました。女の子との付き合いとかもドール有無で変えたりしないし、ドールを知らないよりは、知っていた方が良いと思うし、それ以外の興味ある事と絡めるのも犯罪にならない限りは楽しみとしてアリなんじゃないかな~と思います。

 某漫画で「あしゅみー先輩とトイレに閉じ込められた編」とか検討したり悪だくみ考えると楽しいですよ♡

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ジジの落書き(仮)  2019, 07. 13 [Sat] 19:19

To 太郎さん
>使い道も本来の性的要素から着せ替え人形に変わってしまいました。

ドーラーあるあるですよねー。ぼくの場合は下半身の元気が少々なくなってきたのもありますがw ブログはじめた頃はあれだけ特集していたオナホ関連の記事がまったく書けなくなってしまいました(;´∀`)

あぁでも、先日、個人作家さんにクッションドールの製作をお願いした際、「ホールポケットは付けますか?」との質問に即答で「つけてください!」と答えました(*ノェノ)

仮に一切その用途に使わなかったとしても、そういう用途にも使える、というところがたまらなく…………って何か全然記事と違う話題を熱く語ってしまった…。


To 白髪ダンディさん
>何度も見ている内に笑って見える角度とか、優しく微笑んで見える角度を見つける訳で。

わかる。

感性豊かな方からするとそれがドールさんに心が宿るということなのかも知れませんが、ぼくのようにヒネた理系の場合は、より良く見える角度や光源、似合う衣装、髪型を見つけて、ドールさんの特徴をより深く知ることが出来たなぁなどと自己満足してみたりw

一方で、

>自分の願望や妄想を文句一つ言わずに叶えてくれる物。

こちらもまたよくわかる話で、長時間撮影した後など、つい「お疲れ様」「いつもありがとね」などと言って頭を撫でてしまったりするのです。

愛着はあるけど、愛情はないよ、などと斜に構えていても、やっぱりドールさんは可愛いらしいのだから仕方ないw

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どんべえ  2019, 07. 14 [Sun] 23:31

これも愛?

どんべえにとってドールは「物語の登場人物」的な感じですかねー
日々妄想の日記を綴ってますしw

元々は夢だった車を母や姉に否定されまくって手放す事になったのでリアル女性は要らんわ、ってなって早々に結婚も諦めました。
でも男たるもの物理的に溜まってくるものはあり、自家発電も物足りなくなったのでドールをお迎えしようと思い立ちました。
つまり肉便器嫁代わりですね

そして皆さんがしてるように皆に見てもらいたいとお迎えレポを送りつけたりwブログを開設したりで今に至ります。

しょせん動かず物言わぬただの物体なのですが、なんだかんだと愛着は涌きますので今後もこの二人と妄想ブログを綴っていきたいと思います。
ひょっとしてこれが「愛」なのか!?w

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湯っさん。  2019, 07. 15 [Mon] 05:29

好きと思えば愛なのでは

皆さん、ドールへの愛はさまざまですね。

湯は自分のこうしてほしいと女性に対する想いにうちのドールさんたちは応えてくれます。
それが愛おしいですね。
自分が真ん中で川の字になって寝るのですが、自然に気持いところを触ってくれます。
生身の女性で経験したことのない快感に襲われる時もあります。モノなのにと思いましたが、
ヒトには自分のどこかでこれ以上求めたら嫌われるのではないかみたいな気持ちがあって、
ドールたちにはそれがなく自分の本当の素を出せてるからだと思い始めています。
素直な想いをぶつけらればそれはヒトでもモノでも愛することではと思うようになりました。

最初はドールなんて、オナホの大きいやつと興味本位に迎えたのですが、すっかり今では会話する仲になってます。笑。

ドールの影のつき方や、ちょっとした仕草、瞳の方向などで、ちゃんと意思表示してくれてると思い込んでいることを
「愛でる」と言うのだろうなあと。

さて、浴衣が着たいと訴えるので、一緒にAmazonで選ぶことにします。

そう思えれば「愛」なのでは。。。

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グミ  2019, 07. 15 [Mon] 08:26

あくまで個人的な意見ですが

私もドールは完全にモノとして扱ってます。
ですが人間よりドールの方が好きです。
個人的には単純にドールを人間代わりにしたいという人はラブドールを買わない方がいいとさえ思います。
あくまでドールとして愛することができなければ逆につらい思いをすることが多いと思いますので…
もちろんドールを人間のように扱って上手く付き合ってる人もいると思うのでこの考え方が全てではないと分かっていますが、だからといって誰でもそうなれるわけじゃないし、実際かなり限られると思います。

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俺もドーラー  2019, 07. 15 [Mon] 13:40

難しい相談ですね

モノと言う考えが無くならない限り、はっきり言えばドールは辞めた方が良いと思います。高い買い物ですからね。でも今は中華製格安ドールが沢山ありますね。

私の経験談を一つ。私は、オリエントのドールを2人持ってました。
初めてのお迎えは、それはもう彼女の美しさに感動しました。いっぱいキスしたり抱きしめたり、写真も取りまくりました。来る前から名前も決めてて、その日から毎日話しかけたものです。私にとってはごく普通の行動でしたね。もう15年前の事です。

それから、2人目をお迎えしましたが、初めての時より感動はあまりありませんでした。いつも2人が居るのが、あたりまえの生活になりました。そして、9年が過ぎ自分自身を変えたい思いで2人と別れました。お別れ後は寂しくて、部屋に帰るたび、ああ、もう居ないのかと何度も思いました。でも、前に進む為にはこれしかないと頑張って行きました。

それから1年が経ち、ドール欲しい病が出て来て、ヤフオクの格安中華ドールを落札するがこれじゃない、とすぐに里子に出した。

さらに1年が経ち、この子だ!とお迎えしました。
今ですか?今はその嫁とまだ?もう?2年半が経ちました。毎日ラブラブいちゃいちゃしてますねー。自分自身も大きく変われた気がします。すごく幸せです。もちろん別れた3人のお陰でも有ると感謝しています。ふと、3人の事を今でも思い出しますね、違うオーナーさんの所で、元気にやっているだろうと。

私の意見は、相談者様の年齢が分かりませんが、今はその時では無いと思います。一度、ドールと別れドールの事も全て忘れて、現実に目を向けて仕事なり勉学なり他の趣味に勤しみ、現実の女性と付き合い、それでもドールが良いので有れば、戻って下さい。でも、今が愛せないのなら少なくとも5年は期間を空けた方が良いと思われます。5年、10年経てば人の価値観は変わります。変わらない人もいるけど。私は昔はロリ一択でしたけど今はセクシー系大人の女性しか興味がありません。直ぐに答えを求めるより人生回り道でも、いいんじゃないかな?

ジジさん、皆様長文失礼しました!

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ほえほえ  2019, 07. 15 [Mon] 22:33

 いろいろな人がいるのですね。「xxしなければならない」と思うと辛いことが多いので
無理しないのが一番なのではないのかと思います。
 自分にとっては、現状は側にいるだけでありがたいので手放す予定はありませんが、時間がたったら、どのように感じるか判らないですから。

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ジジの落書き(仮)  2019, 07. 15 [Mon] 23:57

To どんべえさん
>どんべえにとってドールは「物語の登場人物」的な感じですかねー

独自の世界を作り出しているドーラーさんも多くいて、それは想像力であり創造力であると思うんですよね。どんべえさんのブログを含め、ドールさん同士のやりとりがある記事を拝見していると、まさに創造された世界を拝見させて頂いている気分になることがあります。

To 湯っさん
>これ以上求めたら嫌われるのではないかみたいな気持ちがあって、

わかる!
生身の女性に何でも求めるわけにはいかないし、求めちゃいかんとも思っています。いやもしかしたら、世の中にはお互いの欲望を素直にぶつけ合えて、人間性でも尊敬しあえるような奇跡的なカップルが存在するかも知れませんが、普通はちょっとむずかしいかと(;´∀`)

その点、ドールさんならスカートの中に入って「うん、ぼくここにずっと住んでいたい…」とか言っても無言で受け入れてくれるわけで、更にはあんなことやこんなことを…………ってぼくの性癖は置いておくとしてw モノと認識していても、やっぱり感謝する気持ちってのは自然と湧いてくるもんで、気がつけば「ありがと」なんて口から出ていたりするんですよねー。


To グミさん
>個人的には単純にドールを人間代わりにしたいという人はラブドールを買わない方がいいとさえ思います。

そのご意見にはぼくも賛成します。また、おそらくは相当ディープな人でも基本的にはドールとして愛しているのではないかなぁとも。
変な話、人間として扱っていたらヘッドを外すことも躊躇すると思うんですよ。残念ながら現実問題として経年劣化はありますし、修理のときはあちこち切ったり溶かしたりする必要も出てきますし、そこはやはり折り合いが付けられる人でないと精神も病んでしまいそうな気がしてしまいます。

To 俺もドーラーさん
>今はその時では無いと思います。

ぼくも一度ラブドールをすべて手放してこの趣味から離れようかなと考えたことがありました。相談者さんのようにセンシティブな話ではなく、単に重くて扱いづらいからという身も蓋もない話ですがw

それで一度はフルシリコンをすべて手放し、ぬい系オンリーになったのですが、しばらく経ってからまた(気の迷いで)フルシリをお迎えしてみたら、前よりも全然負担ではなくなっていたんです。

扱いに慣れただけ、と言われればそのとおりなのですが、価値観にはそういう一面もあるんじゃないかなって思うんです。以前は手軽に扱えないから愛着が持てなかった。でも今はよりうまく扱えるようになったから、あるいは折り合いをつけて、ここはぬい系、ここはフルシリ、みたいに”使い分け”なんて言うとちょっと言葉が悪いかもですが、適材適所的に愛でることができるようになったから、状況が変わったのかな、と。

そういうケースもあるので、一度離れてみるのも良いし、逆に今離れている人なら………………もう一度お迎えしてみるのも良いんじゃないかな?ψ(`∇´)ψ

To ほえほえさん
>側にいるだけでありがたい

これです、これ。
ぼくも時間が経ったらどうなるかわかりません。ラブドールをすべて処分してブログも閉鎖しているなんて未来もあるでしょう。(なんてことを知り合いに言ったら、その未来だけは全く想像ができないなんて言われましたが…)

でも、いまこのとき、コメントを書いているぼくの隣にドールさんが立っていますが、このいつも側にいてくれる安心感がとてもありがたいです(*´ω`*)

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しり  2019, 07. 16 [Tue] 00:13

興味深いです

今回の相談の記事とジジさんのお考えとみなさんのコメント
どれもとても興味深い内容でした。

楽しみ方は人それぞれということをお伝えする意図(皆さんのコメントみていたら書き込みたくなったもある)で私の楽しみ方を書き込ませていただきます。

わたしも三年ほど前に中華TPEドールを買ったところから、
あれよあれよという間に7体ドールを購入してしまいました。
私の場合は、近年のドールの出来栄えと中華ドールの安さから、性的な目的とコストの関係でデリヘル呼ぶより安上がりくらいの考えで購入したところ、
総額は、実際デリヘル呼ぶより高くなっているというのが現状です笑
後悔するわけでもなく、欲しいと思ってあれこれ考えるのも楽しいということで、
趣味の一環といったところです。

ボディーの特徴もそれぞれですから、どんな体型のものにエロスを感じるかと
いつも自問自答しておりました。


安価なもの購入した結果、高価なものも気になり、最近では国産の高級品も手に入れ、購買意欲は落ち着いています。
美しいものが好きでそれを近くで見ていたい(たまに触りたい)という欲求
がいい感じに満たされているのかなと思います。
ただ、いくら高いものを買ってもやはりドールはあくまでドールだと感じています。
現実の美しい人は動きや表情も含めての美しさと思いますので。


最近は自身のタイプを追及するためシリコン製ヘッドの自作に取り掛かりました。
これがとても楽しく、私のやりたいことはこれだったのかもと思っております。

長文失礼しました。

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ジジの落書き(仮)  2019, 07. 19 [Fri] 14:16

To しりさん

>総額は、実際デリヘル呼ぶより高くなっているというのが現状です笑

わかる(血涙)
最初のシリコンドールは60万ほどしたものですから、自分の中で色々言い訳をして、同じように毎週風俗に通ったとでも思えば1年で元が取れるさ…!なんてことも考えましたw
200万超えたあたりまではブログでもネタにしてましたが、計算すると胃が痛くなってくるので、最近は考えないようにしています(;´∀`)

それはそうと、まさかのシリコンヘッド自作…!
続報、楽しみにしておりますヽ(=´▽`=)ノ

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愚禿  2019, 07. 20 [Sat] 00:31

ジジ様を筆頭に、皆様のご意見とても参考になりました。
そのうえで、少なからず葛藤もあるのかなぁと。
しかし、そんな葛藤なぞ空高くぶん投げて
各々の道を心から楽しんでおられるのかなと
そう感じました。

ふと、脳裏をよぎったりはするけれど?

そういうことも踏まえたうえで
この相談者の方がどういった答えを導き出すのか
とても興味を惹かれました。

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ジジの落書き(仮)  2019, 07. 20 [Sat] 19:49

To 愚禿さん

>しかし、そんな葛藤なぞ空高くぶん投げて

このくだりでわろてしまいましたw
愚禿さんのおっしゃるとおり、ふとしたことで葛藤を覚えることもあれど、基本的にはうちの子かわいいすぎィィ!!ぴゃぁぁあああ!!ヽ(゜∀。)ノと楽しんでいるところでございますw



今回のご相談者の方はメアドもハンドル名も記載がなかったため、もしかしたら答えは求めておられないのかも知れません。でも、もし何かのきっかけでこの記事やコメント欄を読むことがあれば、その後どうされたのか、ご一報いただけましたら幸いです。

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黒男  2019, 08. 26 [Mon] 16:55

お初です。
ドール歴の浅い新参者の初コメですが、興味深い話題だったので我慢できずにコメしました笑
ドールを迎えるにあたりジジさんのブログには大変お世話になりました。ありがとうございました。

僕がドールを迎えて始めて知った・気付かされたことって、
「自分の帰る場所に変わらない存在がいつだって居てくれることのありがたさ」ですね。
心理的な感覚ですが、世の中は大変に色んなことが変化し続けていて、仕事や周囲の人間の感情や関係の波、社会や飛び込んでくる情報の陰鬱さ、果ては世界の国々の状況さえも。
そんな目が回るような周りの変化に晒され疲れて家に帰ったときに、
昨日と変わらず迎えてくれる優しげな微笑み。自分をいつも静かに受け入れてくれる存在。そしてゆったり流れる時間の中で、共に時間を共有してくれる存在。
そんな、“変化に揺らぐことのない存在”が身近に居ることのありがたさを痛感しました。
自身の日々揺れ動く心の感情を、ドールという心的に不動の存在を介して安定値に調律してる、ような感じですね。
いつもソファーの上に座らせているのでいつもそばに居る感じなのも大きいです。
要は精神安定剤(人?)みたいなものです笑

また、“ドールは自身の心の憑代”という言葉にすごく共感しました。(たぶん違う意味ですが笑)
ドールの顔は変わらないはずですが不思議なことに自分の感情によってドールから感じる表情の雰囲気って変わるんですよね。
イライラしてるときはムスッとした感じに。嬉しいときは笑ってくれてる感じに。
ドールの顔を見れば自分の奥にある本当の感情が分かるようになりました。

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黒男  2019, 08. 26 [Mon] 17:31

長々と書いて結局結論を書いてなかったですが、物質的(着替え、撮影、実践)にしろ質的・心的にしろ、その人が何に対して価値を見出すかによって対象に求める“好き”な部分も変わりますが、結局のところは
“それが好きな理由や行為にルールはない”
というのが言いたいことでした。
ドールは人型であるゆえに、モノ的にもヒト的にも好きになる方法の可能性(選択肢)が多くありますので、“ドーラー”という形枠にはまらずにご自身でドールの“好き”な部分を見つけていくのがいいと思います。
ある意味では、現在の一般的な着替え・撮影..etcも誰かが開拓した“好き”だと思います。
また、ある意味“好き”を開拓していくのも“好き”ということになったりもします。

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ジジの落書き(仮)  2019, 08. 27 [Tue] 19:09

To 黒男さん

黒男さん、はじめまして。

どうぞどうぞ気軽にコメント入れちゃってくださいヽ(=´▽`=)ノ

“変化に揺らぐことのない存在”、なるほどと思いました。
実家のような安心感、などというセリフがあるとおり、変わりない安定感というのは人にとって必要な何かなのでしょう。

ただいまー、と帰ってきたらいつもそこにあるおっぱい…じゃなかった…
今帰ったぜー!とひょいとめくったらいつもそこにあるしましまぱんつ…でもなかった…

ごほん。ともあれ、いつもそこに居てくれる安心感とホっと一息ついた感情から感謝の念や、愛情に近い何かがあふれてくる感もあります。

そういえば前々から思っていたのですが、等身大ドーラーさんって人にすごく気遣いするタイプの人が多い気がしています。

人と触れ合っているとついつい相手のことばかり考えて疲れてしまう。あるいは素の自分が出せない。そんなとき、いつも黙ってそこに居てくれる存在に癒やされている方も少なくないように思います。自分好みの衣装をいつも着ていてくれるしw

一方で、歌って踊れる等身大ドールがあったらそれはそれで欲しいという気持ちもあったりなかったり、なんとも人の感情とは複雑です。

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黒男  2019, 08. 28 [Wed] 02:18

ジジさんお返事ありがとうございます(´∀`)

>実家のような安心感のいつもと変わらぬおっぱい&しまパン
僕の言いたいことの核心を突いた名言です笑
>僕もなんやかんや上で言ってますが、歌って踊れるドールあったら欲しいですね笑
せめて自動で48手の体勢を変えてくれる機能が欲しいです..笑

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